後悔ばかりの人生を、居場所に悩む人の希望に変えたい。くずもとのプロフィール。
どうも、くずもとです。
プロフィールをまとめてみました。
葛藤やコンプレックス多めです。
親友にすら隠していたコンプレックスや、ずっと心の底に閉じこめていた思いもさらけ出しています。
居場所に悩む人の希望に変えたい、そんな思いで書きました。
最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
- 子どもの頃に芽生えた親への不信感
- あだ名のせいで自信を失う
- 家にも学校にも居場所がない…
- 高校では心機一転!のはずが…
- 音楽で見つかった「居場所」
- 念願の一人暮らし!
- バンド活動に熱中!それでも…
- 当時の彼女に言われた一言
- 周りに流されて進学し続けた結果…
- なかなか見つからないやりたいこと
- 原因は全て自分にあった
- ”生きづらさ”の正体
- 転機となった『ミレラボ』
- これから
子どもの頃に芽生えた親への不信感
小学生の頃から親に対して、不信感を感じるような子どもでした。
父は怒りっぽくて短絡的。
母は心配性で過保護。
極度の人見知りでしたが学校生活に馴染むと、夜遅くまで友達と遊び呆けていました。
「バイバイ、また明日!」と嬉しさで満たされながら家路につく。
ですが、門限を過ぎると鍵を閉められて家に入れてもらえませんでした。
はじめはドアを叩いて必死に抵抗していましたが、「何かあったら心配だから」を押しつけられることの繰り返し。
なんで、お父さんとお母さんは楽しみを奪おうとばかりしてくるんだろう…。
子どもの自分が何言ってもダメなんだな…。
暴力をふるわれることはありませんでしたが、不信感が芽生えはじめました。
そのうち、家では感情を出さないようになっていきました。
あだ名のせいで自信を失う
小学校5年で転校しました。
転校して1ヶ月、ようやく馴染んできた頃についたあだ名が、
苗字からとった ”クズ” 。
拒否したら、せっかくできた友達がいなくなるんじゃないかという不安から「嫌だ」が言えませんでした。
それからというもの、心のどこかで我慢をしながら過ごすようになりました。
いじめられることもなく、友達もできたけど、名前を呼ばれるたびにモヤモヤが湧いて心に残る感覚。
そしてあだ名のせいでネガティブなイメージがすり込まれ、自信をなくすようになっていきました。
家にも学校にも居場所がない…
その後、中学に入って強い孤独感を味わいました。
きっかけは、友達と縁を切ったことです。
同じ小学校、同じ少年野球チーム、そして同じ中学校に進学し、野球部でも一緒だった友達でした。
小学生の頃から人気者タイプでしたが、中学に入ると人の悪口を言ってポジションを保とうとしているように見えました。
そこに卑しさを感じて距離を置こうと決意。
ある日の部活帰り、話しかけられても一切口を聞かずに帰りました。
友達も察したのか、次の日から一緒に登下校することはなくなりました。
それからの中学校生活は絶望でした。
その友達が周囲に何かを吹き込んだのか、学校でも部活でも除け者扱いされて、嘲笑の眼差しを浴びるようになりました。
学校社会から孤立し、自信を完全に失って、生きた心地がしませんでした。
それでも弱音を見せたらつけこまれると思い、強がって何事もないかのように振るまう毎日。
逃げたら負けだと思い込んでいて、野球部にやめる勇気も、不登校を選ぶ勇気もありませんでした。
家にも学校にも居場所がない…。
親に相談せずに一人で抱え込んでいたので、本心を話せる場所はどこにもなく、ただひたすらに卒業までの時間を耐えていました。
高校では心機一転!のはずが…
同じ中学の人となるべく顔を合わせたくないと思い、地元から離れた高専に進学。
苦い過去を払拭するくらい充実した高校生活にしてやる!と意気込んでいました。
しかし、現実はそう簡単に変わりません。
中学時代にしみついた「素の自分では、誰も受け入れてくれない」という感覚のせいで、本心を閉じ込めて人と接するようになっていました。
自分の話題は口にせず、人の顔色を伺い、ニコニコしながら人の話を聞く。
人から嫌われることに怯えて、無個性なキャラを演じて人と接するようになりました。
当然、嫌われることはありませんでした。
でも、好かれることもありませんでした。
いてもいなくてもいいやつ。
笑顔を作るたびに虚しさが湧いてきました。
生きる才能ないなぁ…
そんなことばかり考えていました。
音楽で見つかった「居場所」
学校生活に虚しさを感じるようになった頃、転機が訪れました。
音楽、ロックとの出会いです。
虚しさや繊細さを不器用に爆発させたロックという音楽は、自分の気持ちを受けとめてくれる存在でした。
ロックバンドへの憧れからベースを始め、そのうちネットで知り合った人と一緒にスタジオに入るようになりました。
そして、好きなバンドのライブやフェスも一緒に見にいくように。
自分の思いを伝えようとしても、相手の顔色を気にして我慢していましたが、音楽を通じで知り合った友達にだけは、思ったことをありのまま伝えることができました。
素の自分でも受けいれてくれる人がいるんだ…!
音楽のおかげで居場所が見つかりました。
念願の一人暮らし!
そして、大学進学を機に上京しました。
親元を離れたくてしかなたかった僕にとって、念願の一人暮らしです。
中学以降、家族らしい会話はなくなり、親に自分の感情を知られるのが嫌で仕方ありませんでした。
部屋にいるときは、ベースを弾いたり、ライブDVDを見たり、リラックスできる。
でも、リビングで親と顔を合わせると、無表情スイッチを入れて感情を抑圧する感覚。
そんな生活をしていたので、実家が心落ちつく場所ではありませんでした。
実家を出れば、本音にフタをする原因がなくなる!
奪われ続けてきた自由をようやく手にした気持ちでした。
バンド活動に熱中!それでも…
大学では軽音サークルに入り、コピーバンドで演奏活動をスタート。
バンド活動が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
ベースという楽器で、楽曲のリズムとメロディを支える役目を担っていること。
ライブで自分たちの演奏を通して、観客と一緒になって盛り上がった時の一体感。
人とつながる喜びを強く実感するようになりました。
それまで、素の自分では誰も受け入れてくれないと思って、
周りの顔色ばかり気にして、本音を我慢してしまったり。
深入りして傷つくのが怖かったから、壁を作って接したり。
コンプレックスに苦しんでいても、強がってニコニコしてみたり。
そんな自分がベースを弾くときだけは、存在を肯定してもらえたような、そして、誰かの役に立つ喜びを知った経験でした。
ですが、それでもまだ、心が乾く感覚がこびりついて離れませんでした。
ベースを弾いている時は自分を表現できる、でも、普段の生活では自分をさらけ出す勇気が持てない…
過去のトラウマとちゃんと向き合えない、臆病な自分がいました。
当時の彼女に言われた一言
本当の自分は、きっと誰にも理解してもらえない…
そんな思いがずっとあったので、恋愛も臆病で、初めて彼女ができたのは20歳。
これまで二人の女性とお付き合いしましたが、どちらも半年も持たずにフラれて終わりを迎えました。
理由はどちらも「友達としてしか見れない…」
自分の弱い部分をグサッと刺されたような言葉でした。
親との関係や、中学時代のトラウマ、普段ニコニコしている内心で渦巻くモヤモヤとした感情。
暗い過去や闇みたいなものを少しでも出してしまったら、嫌われるんじゃないかという不安が常にありました。
もっとお互いのことを知って深い関係を築きたいと思っても、一歩踏み込むができませんでした。
今振り返ってみると恋愛とは名ばかりで、よそよそしくて、ぎこちない関係でしかなかったように思います。
付き合っているといっても会う回数が月1〜2回と少なく、なかなか距離は縮まりませんでした。
本当はもっと会って話をしたかったけど、その思いもフタをして押し殺してしまったり…
意思疎通が思うようにとれず、後悔ばかりしていました。
周りに流されて進学し続けた結果…
その後、大学を卒業して大学院に進学。
進学の理由は「就職に有利になるから」という安易なもの。
将来を真剣に考えることもなく、なんとなく社会のレールを進んでいきました。
そして、本格的に研究活動がスタート。
しかし、全くといっていいほど熱が入りませんでした。
就活を乗りきって修士論文に専念するだけになった途端、バーンアウト。
このままレールを進んでも、暗い人生しか待っていないないように感じて中退しました。
なかなか見つからないやりたいこと
大学院を中退してからは、”やりたいこと探し”を始めました。
ITのスタートアップでインターンを6ヶ月。
学習塾で副校舎長を9ヶ月。
その後、現在は出版社と音楽スタジオのバイトを掛け持ちしてます。
関心のあることにチャレンジしてきましたが、長続きしませんでした。
今でこそ原因をしっかりと受け止められるようになりましたが、当時はなんだかんだ理由をつけて、適職探しを繰り返していました。
原因は全て自分にあった
短期間で職を転々としていた理由は、自己逃避を繰り返していたからでした。
居場所に飢えてきた人生、心の底ではずっと閉じ込めた思いも表現できる場所を求めていました。
しかし、いろんな環境に飛び込んでみるものの、少しでも居心地の悪さを感じるとすぐに他の環境を探す。
その繰り返しでした。
今になって思えば居場所が見つからないのも当然でした。
「どうせ誰も自分のことをわかってくれない…」と殻に閉じこもるのではなく、コミュニケーションをていねいに積み重ねて相手を知る。
そして、少しずつ相手との信頼関係を築いて、自分を知ってもらうこと。
自分が乗り越えなければならない課題は、自分の中にありました。
”生きづらさ”の正体
生きづらさの正体は、ウソで自分を固めてしまうことなんじゃないかと思います。
自分で勝手に自分をがんじがらめにしてしまうというか。
原因は全て自分にあるんじゃないかと思うようになりました。
これまで僕が抱えてきた生きづらさも、全て自分が作り出したもの。
欠点や短所、コンプレックスを隠して、人に好かれようとばかりしていました。
そして僕は、親友に対しても、弱さを隠して自分を偽ってしまいました。
先ほど、これまでの恋愛について少しお話しましたが、ぶっちゃけてしまうと付き合ってもその先の関係には発展しませんでした。
肉体関係というか…
いわゆる童貞というやつです。
そのことを隠して、ずっとウソをついて接していました。
大学時代、それこそ恋愛の話題も多く飛び交う環境の中、その話題が出ることを恐怖に感じていました。
童貞であることがバレて、バカにされるのが怖かったから。
そういう話題が出そうになると、
しれっとその場から抜け出そうとしたり、
無理やり話題を変えようとしたり、
ついにはウソをついてしまいました。
親友にも。
その結果どこにいても居心地が悪く、ますます自分の殻に閉じこもるようになりました。
原因は、全て自分でした。
この記事を書くまえに何人かの親友に、初めてそのことを打ち明けました。
話す前は
「バカにされないかな…引かれないかな…」
といろんな不安が浮かんできました。
それでも、いざ勇気を出して話してみると全然そんなことはありませんでした。
バカにされることもなく、真剣に話を聞いてくれました。
その瞬間、背負った重たい荷物を下ろした時のように心が軽くなった感覚でした。
苦しみやコンプレックス、そういう弱い部分も受けとめてくれる人がいることを実感できることで、生きづらさはなくなっていくんだなと思いました。
転機となった『ミレラボ』
ここまで自分をさらけ出せるようになったのは、大きな転機があったからです。
今年の3月に『ミレラボ』というオンラインサロンに入りました。
あんちゃさんとイチハヤさんのお二方が運営をされているサロンです。
「生き様で人を動かす」という言葉に惹かれて参加しました。
あんちゃさんは、メンターのような存在。弱さと向き合って、自らの手で人生を切り開ている姿に、刺激をもらいまくっています。
ミレラボに入ったきっかけは、あんちゃさんのブログでした。
イチハヤさんは、言葉で人を刺す名人。これまで何度も、自分の弱さや足りない部分を気づかせて頂きました。グサグサと刺してきます。容赦ないです。
お二方や他のメンバーとの出会って、いろんな人生に触れる機会を得られたことで、自分の人生、そして自分の弱さと向き合えるようになりました。
そして、過去に味わった苦しみやコンプレックスが、同じに悩みを抱える人を勇気づけるコンテンツになることを学びました。
であれば、ネガティブ多めなこの人生も誰かの力になれるのではないか。
そう感じて、ありのままの自分を全て出して、発信活動に挑戦しようと思うようになりました。
これから
ずっと失敗を恐れて、挑戦を避けてきた人生でした。
好きなことも、人間関係も。
全部が中途半端。
いわゆるチャレンジ童貞というやつです。
25歳になってようやく、そんな人生を変えたいと思うようになりました。
そこで、何に挑戦しようかと考えた時にすぐに『音楽』が心に浮かびました。
ロックに心救われた人生、僕も音楽で誰かの力になりたい。
ということで、音楽活動に挑みます。
目標はプロになること。
高校生の頃の自分が聞いたら「絶対無理」としか返さないような目標です。
いい歳したやつが夢とか語ってダサいと思われるかもしれません。
それでも、だからこそ、挑戦してみようと思っています。
何年かかってもいい。
諦めずに挑み続けていく姿勢を通して、僕と同じような苦しみを感じている人の希望になりたいと思っています。
そんな人間もいることに興味を持っていただけると嬉しいです。
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